関屋道(名柄道)の町石

健立は江戸中期ぐらいという説がある。

十七町石の発見からおたわ地蔵から関屋(上増)方面に道があったと思われる。

左こんがう山の大きな道標が残っている

関屋道
分岐
関屋道1町石・二町石・三町石
六町石 
関屋道十七町石
上部を残し埋没していたが再建
関屋道二十五町石
朝原寺跡から少し行ったところ
転倒していた
 途中にある大石 伝説の「日の石」かもしれません  
   日の石にかかる伝説

建治5年(1275)6月9日、佐田村に住んでいた十河図書行光という武士が山には入って狩りをしていたら夕方になって朝原寺の上にある日の石という大岩のところで、一頭の鹿を見つけました。鹿を見失ってしまったが、そこに一人の行者が現れ、命の大切さ、修行の必要性を教え、如来を描いた軸を与えると姿を消した。探すと、行者の姿は遙か西の雲の上にあった。この姿を拝していると、後方で大きな音がし、見ると大きな鐘が落ちていた。

奈良文化財研究所 飛鳥資料館倶楽部より抜粋
http://www.asukanet.gr.jp/
http://www.asukanet.gr.jp/katuragi/gose.html

日の石かもと思った理由は以下のとおり
この石のまわりに人工的なセメントの枠があります。
名のある石?
言い伝えで 朝原寺の直ぐ上と言った場合
まっすぐ 町石道をまっすぐいったところでは?
小和道三十四町石
ダイトレ沿い
関屋三十六町石
不明文字・・・・たぶん六
上部を残し埋没していた
関屋道三十八町石
しらくもだけ 近く
転倒埋没寸前であった
関屋道三十九町石
しらくもだけ 近く
転倒埋没寸前であった
関屋道四十二町石
急階段途中
関屋道四十三町石
急階段途中
関屋道四十七町石
一の鳥居近く
関屋道四十九町石
葛木神社手前仁王杉近く

町石再建に当たっては、炉端の会が中心となって 金剛山葛木神社、金剛山転法輪寺、奈良県風致環境課自然環境係に相談の上行いました。
また、工法の説明を電話で行い土地の形状の変更にはあたらないと確認しております。